写真と表現と生き様と本質と考え方
みなさん、こんばんは。
今後の写真と表現の展望を明言したいと思います。といっても軽く。
年始の記事で、写真賞をいくつか取ると言っていましたが、最優秀賞はとれるかどうかわかりませんが、いくつか入賞出来たら。
小説の賞をとるというのは、6月くらいまでの賞に出さないと、年末までに発表になりませんから、6月めどに一作書きあげたい。
私が表現者として表現したいものは生きざまです。
それには中途半端な作品ではだめだ。
以前は表現さえ出来れば良いという甘えがあった。
生きざまを表現するのに中途半端な作品でよければ、そんな生きざまということでしかない。
自分の写真に枠をつけたくないのですが(と言っている時点で枠を感じているのですが)、私の写真家としての理想は、自分が撮りたくて撮った写真に値段がつくことです。
そのためには、どうすればいいか。
売れる写真を撮れるようになればいいのかなあ。
そのためには、有名になることであったり、人脈を作ることだったり色々あるでしょうが、一番良い手は、良い写真を撮り続けて発表し続けることかな、と考えています。
撮る場所、対象を選ばずに自分が良いと思う写真を撮りたい。私の写真の今のテーマは本質です。
以前絵描きの方が、山の絵を描くのに山でどんな営みが行われているか地質学的にどのようにこの山が出来たか想像しながら書くとおっしゃっていましたが、
私も同じことを感じています。
写真にも、想いは籠ります。不思議なんだけど、なんでだろうね。機械装置のカメラというもので写した写真にも想いは籠る。少なくとも私はそう感じる。
写真にも、絵にも、文章にも想いは籠る。料理にもスポーツにも勉強にも想いは籠る。仕事にも遊びにも想いは籠る。
ということは、少なくとも人間が行うものにはすべからく想いが籠る可能性が。当たり前といえば当たり前なんですが、改めてちょっと発見した気分です。では、これが動物ならどうでしょうか。動物に想いはある?ない?そこにあると思うのですが。犬はある、猫もある、熊もある。もしや、ウイルスや微生物なんかの行動にも想いがあるのかも。
では、ものには想いがあるのか。ここから昔の人はつくもがみなんて発想をしたのかな笑
脱線しました。
ちなみに、
地球がここにあるのにも
アメリカでトランプさんが大統領をしているのにも
今日の私の飯が麻婆豆腐だったのにも
そこに石がおちているのにも
理由があります。
恐竜がほろんだのにも
くじらが海にいるのも
温暖化が進むのにも
自分が今そこにいるのにも
理由があります。
例えをあげれるだけあげてください。
理由がない物がありますか?
つまり、ものごとには(おそらく)全てに理由があるのです。
理由があるということは、どういうことでしょうか。
そうなった原因があるということです。
原因は何か想像してみてください。
想像し続けてください。
あなたは今、理由を考えている。
何かわからないことがあれば、理由を探してください。
少しずつ情報を集めて行って、思い込みにはならないように分析しながら組み立ててください。
色々なことが少しわかります。
なんでこの人はこんなことを言ったか?
なんでここでこの人はこんなことをしたか。
でも、あくまでそれは想像ですので、次は実証です。
対人で可能でしたら、本人に聞く。以上。
話がそれました。
写真に想いがこもってるのも理由があるのでしょうね。それは私がした行動だから。ほら、おそらくですが理由がわかった。
脱線しまくりですが、面白く思ってくれたら感無量でございます。
それでは、おやすみなさーい。